仮に参院議員を務める49歳の男性でスポーツ団体の会長職にある人間が、28歳の女性選手に強引にキスをする事件が起きた場合、セクハラで大騒ぎになり、会長職の辞任や参院議員の辞任を余儀なくされると思う。男性が女性に行うセクハラは処罰され、その逆はお咎めなしなどという事はあってはならない

(via toronei)

(gkojaxから)



「魔女の宅急便」の原作者は、「宅急便」がヤマト運輸の登録商標であるため
ヤマト運輸に使用許可を求めたところ、「作中に黒猫を出すこと」
という条件付きで許可をもらった。

・・・という話は全てガセネタ。
実は書籍のタイトルは商標権の対象外であるため、
原作者がヤマト運輸と商標権で争う余地は一切無い。
もちろん黒猫のくだりも誰かの創作。

但し、映画化の際にスタジオジブリとヤマト運輸が
商標権で揉めたのは事実。
その際、「ヤマト運輸は映画「魔女の宅急便」を自社の宣伝に使って良い」
という条件で和解し、映画のキャラクターを起用したヤマトのCMが当時放送された。

あなたの知っているまったく役立たない雑学『アメリカのスクールバス』:哲学ニュースnwk (via 719043)

(719043から)


菅原道真が遊びもしなければ家庭も省みない勉強一代男として学の分野で君臨せんとするまさにそのとき、わずか16歳にして大貴族藤原の息子、藤原時 平が出現する。この男、権門の子弟ということで日本版科挙も受けずに参内するという裏口っぷりを発揮する(が、政治は不可解なものだから、このシステムも 実はここぞというときには機能することもあるのだな、と後でおれは気付く仕組みだ)。

発揮するのは良いのだが、当時、女がすなる和歌で恋歌ばかり詠むに長け、あっちに美女がいればあっちへ出向き、こっちに美女がいればこっちに出向 き、歌を贈ってはねんごろになるという堕落者である。親父のコネで出仕したのは良いけれど、どう考えてもあそびをせんとや生まれけむな男である。

一方、道真は毎日漢文を読みあさり、勉強しまくり、家族を顧みず、という生活。それでも和歌に心を動かされることもあるが、ひらがなで書かれたもの をいちいち漢字で書きなおすという硬骨ぶりを発揮する。真の漢は漢字を使い、ひらがななどでは文章をなさないのだ、という確固たる信念あり。

さて、官僚はときどき配置換えをすることで、見識をむりやり広めたり妙な縄張りを作れないようにしたりすることは、平安時代でも行われていたわけで、菅原道真も四国の長官に赴任することになる。

そこで驚いた。住民はみんなぼろを着て、字(道真にとっては漢字のこと)も読めずもちろん書けず、どこかへふらふらいなくなってしまう。

律令制度は土地を国家が持ち人頭税を徴収することを基礎としているから、食えなければ逃げるしかないからだ。

これはいかん、と菅原道真は考える。

農業を育成するには、土地に人を縛る必要があり、土地に縛られていれば逆に落ち着いて文化を甘受することもできる。つまり、律令制度には致命的な欠 陥がある。つまり、人頭税だ。(戸籍制度が適当だから逃げられる時代はその致命的欠陥は国家にとっての問題ではあるが、戸籍制度ががっちり組まれるとその 致命的欠陥は国民のものとなるのだろうな、と恐怖を覚えたりもするのであるが、それは余談と予断)

こういうときこそ、中国に聴け、と菅原道真は考える。拝外主義者である(ひらがなを絶対使わないわけだし)

かくして都へ戻って遣唐使を出そうといろいろ進めていくと、中国の情報が入ってくる。黄巣の乱というのがまきおこっていて中国の政治状況がおかしくなっているらしい。

うむ、律令制度の本家もだめなのか。

愕然とする道真。

しかし、学があるということは良いことだ。

自ら新たな政治の枠組みをついに考えだす。

それが、地代だ。すでに荘園の萌芽があるが(班田収受の法から時代もたっているわけだし)、それを利用し、土地に税金をかければ良いのではないか。

さっそく建白書を作り新たな税制を作り、人頭税を廃止し……

そこに貴族が猛然と抗議をするのは当然であるが、そうは言っても国家存亡の危機にまで実は国家財政が傾いているので、そのあたりはなあなあにできそうではある。

しかし、道真改革に対して、猛然と反旗を翻したのは他ならぬ部下の官僚たちであった。なんと、学問の王様の道真ともあろうお方が、われらが模範たる先進国、中国由来の律令制度を否定するとは、四国でおかしな食い物でも食ったのであろうか?

かくして日本で最初の公務員によるゼネストが敢行されてしまい政務がストップしてしまう。

予算審議の最中に政治の空白が生まれる状況の始まりである。

官僚がそっぽを向いてしまうとどうにもならないので、それまで女遊びが過ぎるとして軽く見られていた藤原時平(道真の右大臣と並んで左大臣になって いはいるが遊んでばかりいるので誰からも相手にされていなかった)にみんなの注目が集まる。国家存亡の危機なのはさすがに殿上人にもわかっている。下級役 人にもわかっている。

さて時平も困った。

が、女心を自在に操るまでに至ったこの男、状況把握のセンスがある。

とりあえず、まとめると

・人頭税をやめて土地に税をかけるべき(学問の神様の結論なのだから正しいと考えるべきだ)

・先進国中国由来の律令制度を変えるということは、官僚たちの知的基盤、あるいはアイデンティティの破壊となるので、それは不可能だ(というか実際に政務が滞っている)

つまりジレンマですな。

しかし、と、時平は考える。これがジレンマになるのは、後者の代表が前者を持ちだすことの不整合に由来しているのではなかろうか?

そこでまずは道真に退場を願うことにして、うまいこと九州へ追い出した。ストを打っていた官僚たちも、土地に税をかけられることに戦いていた貴族たちも大喜び。

再び、しかし今度は時平を中心に政務が回り始める。

しかし、と、時平は頭を悩ます。へたすると結局道真と同じわだちを踏むことになるからだ。いずれにしても、道真改革は実行しなければならないわけ で。いくら自分が大貴族の御曹司といったって、部下の官僚がストを打ったら手も足もでないのは、あの誰もが尊敬する道真が手も足も出なくなったことから明 らかだ。

そこで、しょうがないので打開策を探るために勉強をしていてふと気付く。この漢字の塊のような文書群が、官僚たちを中国万歳、先進国の成果を後進国 は受け入れていればよいのだ、という安易な考え方のもとになっているのではないか? っていうか自分の国のことは自分の頭で考えろよ常考。

そういえば、故郷のお寺の教えに、やまとことばはことだまでどうしたといかいうのがあったが、じっさいのところ、われわれがはなすことばとかくことば、これのかいりがかんりょうたちに、みょうなこていかんねんをうえつけていると、かていしよう。

そんな仮定ができるのは、この男が恋歌ばかりを作っていて、試験勉強のために漢文を詰め込まなかったからだろう。つまるところ、時平は他の官僚や大臣と異なり、漢字にも中国にもこれっぽちも未練はないし自身のアイデンティティもないのだ。

まずは、この国はこの国、やまとのくにだということを世に示すことから始めよう。そうすれば自ずと道は開けるに違いない。

そこで、天皇に歌はいいですよいいですよと吹き込み(おそらく財政問題のこともあり、醍醐天皇と時平は共同戦線を張っていたのは間違いないだろうと 思う。道真追放にも醍醐天皇が積極的にかかわっていたようでもあるし)、歌集の作成の許可を取り付ける。次に、下級役人の中でも特にばかにされまくってい る平仮名遣いを集めてきた。紀貫之たちだ。

まあ、というわけで、おれはひらがなで歌われる歌の良さを広く世に問うことにした。おまえらがんばれ。

なんと、自分たちの文学に初めてお墨付きを得られるとは! 紀貫之たちは感動してさっそく歌探しの旅に出る。足かけ3年かけて地方の旧家に残る文書やら木簡やらから歌をいっぱい集めてきた。

しかし、困りましたぞ、と貫之たち。

何が? と時平。

出てくる歌はみな、恋の歌ばかり。これではかっこがつきません。

うーん、と時平。恋の歌は良いものだが、確かにそれでは、説得力がないなぁ。やまとのくにはこいのくに、というわけにはいかんだろうし。

おおそうじゃ、と時平は面々を見て気づく。おまえらが作ればいいじゃん。

なんと、われらが作った歌をわれらが選んで載せて良いのですか?

だって、おまえらしかいないじゃん。

大感激した紀貫之たちは、歌詠みの本領発揮しまくる。ひらがなだからこそ可能な掛け言葉やらおのまとぺやらを駆使して、季節の歌やら風景の歌やらを作りまくる。

かくして、古今和歌集が完成した。

おお、これは読みやすい、と天皇も大感激。

さて、欽定の歌集とあれば、これこそ我が国の文化の道標、それまで漢文にあらずんば文にあらず、とひらがなをバカにしていた貴族も官僚もみな古今和 歌集を読み、ひらがなに親しむ。いやぁ、恋とは良いものですな、いやいや季節のうつろうさまもまた良いものですよ、という調子だ。

いや、わたしは漢文以外は文とは認めませぬというのは、官場においては新しき文化の風潮に乗れぬ愚か者ということとなった。

さらにこの文化風は吹きまくり、寝殿造りのような建築分野、十二単のようなファッション分野にまでおよび、国風文化とまで呼ばれるまでに至った。

さて、諸君、我が国の財政は危機に瀕しているのはみなさん先刻御承知の通りだ。律令制度はしょせん外国の制度に過ぎぬ。我が国には我が国の美しい文化があり、それにみあった制度があるべきではなかろうか?

うむ、そうかも知れませぬの。

かくして、時平は無事、律令制度からのランディングに成功したのであった。

そのころ、九州の地で道真は辞世の歌を七言律詩で書いていた。

文化大革命 - L’eclat des jours(2008-10-09)

(uc0133から)


・次世代携帯電話(第4世代=4G)の周波数割り当て審査では料金計画の提出を義務付け

・通信量の大小にあわせた別々の料金体系が用意されなければ周波数を割り当てない

・ユーザーの利用実態とかけ離れた料金プランしか用意されていなければ是正を指導する


つまり、総務省による今回の方針によって、利用量の少ないユーザーにあわせた低額プランを用意していないキャリアは事実上4Gのサービスを提供するための電波を確保できなくなるということです。

このまま進めば、4Gでは「ほとんど使わないのにデータ通信プランの下限が高すぎる」といった不満が解消に向かう可能性がありますし、もしかすると音声通話についてもユーザーに同様の恩恵をもたらすかもしれません。

4G(第4世代)サービスの提供は2016年頃になる見通しですが、これに向けた周波数の割り当て審査は2014年内に行われる予定とされています。

低額プランがない携帯会社には電波渡さない…総務省が異例の「口出し」 | TABROID(タブロイド) (via fialux)

(fialuxから)


第1回(2009年) - 大賞 『ヘッテルとフエーテル』  残念賞 『できる男は乳首できまる』
第2回(2010年) - 大賞 『スラムダンク孫子』  残念賞 『命とひきかえにゴルフがうまくなる法』
第3回(2011年) - 大賞 『奥ノ細道・オブ・ザ・デッド』  残念賞 『モンキー・D・ルフィーの「D」はドラッカーだった』
第4回(2012年上半期) - 大賞 『月刊円周率 2月号』  残念賞 『バレーボールは眞鍋に学べ!』
第5回(2012年下半期) - 大賞 『仕事と私どっちが大事なのって言ってくれる彼女も仕事もない。』  残念賞 『もし、ドラッガーを読んでも勝てないと悟った女子マネージャーが肉体を駆使したら…』
第6回(2013年) - 大賞 『妻が椎茸だったころ』  残念賞 『海江田万里・後悔は海よりも深く』

日本タイトルだけ大賞 - Wikipedia (via toronei)

(katoyuuから)


ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia (via handa, to) (via gkojay) (via gkojax)

私のところへ来るアスリートに、必ずする質問があります。


1カ月後に大事な試合を控えていたとします。その試合までとにかくストイックに練習して、苦しんで試合に臨んだのに負けてしまうのと、1カ月間全く練習しないでその試合に勝つのと、どちらがいいですか?


この質問に対して、95%以上のアスリートは「ストイックに努力して負ける」を選びます。今回の事例として紹介するサッカー選手も前者を選びました。一見、何もしないで結果が出るなら、誰でもそちらを選びそうなものです。しかし、なぜほとんどのアスリートが前者を選ぶのかというと、そこに「依存」が起こっているからなのです。彼は試合で実力を発揮できず、控え選手に甘んじていましたが、原因はここにありました。

彼に後者を選んだ理由を聞くと、「何の努力もしないで試合に勝つことに罪悪感がある」と答えました。何の苦労や努力もしないで得た勝利には価値を感じられないと言います。彼は、苦しいことに対して前向きに努力することにこそ価値を感じていたのです。

日本人は苦労を好む傾向があります。特に何かで成功を収めるためには、「苦しい」「つらい」といったような感情を乗り越えなければいけないと考えます。それは日本人特有の「苦労の美学」からくるものです。「一生懸命努力することがいいことだ」「楽をしてはいけない」などがそうです。これらはほとんどの日本人が無意識に持っている美学で、彼もそう信じていました。

これは彼だけでなく、頑張っているのに結果に結びつかない人の多くにあてはまります。頑張っているものほど、楽をすることに自己否定感を覚えるため、いつの間にか苦しむことが当たり前になってしまうのです。


苦しい時ほど、苦しい状態に逃げ込もうとする心理


頑張っているのに結果が伴わず、なかなか自信が持てないときに、彼のような人は「苦しい状態の中で努力し続けている自分」を心の拠り所にしてしまいます。あなたも「今は結果が出ていないけれど、こんなに頑張っているんだから大丈夫!」と自分に言い聞かせてはいないでしょうか? しかし、心の拠り所が「頑張っていること」になってしまうと、苦しんで頑張ることをやめられなくなってしまうのです。これは頑張ることに対する「依存」です

依存とは何か他のものに頼っている状態のことを言いますが、「依存過多」になってしまうと、頼っているものを手放せなくなります。「頑張っている」ことに依存し、結果が出なくても苦しい中で頑張っている自分に価値を見出すと、結果的に苦しい状態を自分からつくりだしてしまいます。

仕事で全く結果が出ずに、上司からも怒られてばかりいる時、なぜか残業や休日出勤を繰り返していることはありませんか? それは、「頑張っている」ことに依存している状態かもしれません。結果が出ていないときほど、何か目の前の仕事に追われている方が気持ちが楽になります。

本人は一生懸命結果を出すために頑張っているつもりですが、それが結果に結びついていないのであれば、結局は自分の気持ちを楽にするための手段になってしまいます。


「依存過多」の悪循環から脱却する方法


「苦しいけど頑張っている自分」に依存してる場合、この悪循環から脱却するためには、自分自身が「依存している」ことに気づく必要があります。

先ほどのサッカー選手に話を戻します。さらに話を聞いていくと、彼は全てにおいてストイックというわけではありませんでした。そこで、苦しいことや嫌なことに対して、前向きに一生懸命取り組まなかった時に、罪悪感を覚えるものと覚えないものを書きだしてもらいました。


罪悪感を覚えるものの例:
・スポーツジムでのトレーニング
・監督から与えられた特別課題…など

罪悪感を覚えないものの例:
・奥さんに買い物を頼まれたとき
・サッカー以外の仕事…など


彼にとってそれほど重要でないものは、ストイックに取り組まなくても気になりません。しかし、頑張っているものほど、ストイックに取り組まないと罪悪感や自己否定感が生まれるのです。このようにストイックに取り組み、いつも苦しんでいないと心が不安定になるものは「依存」が起こっている証拠です。

仕事で同じような悪循環にハマってしまっている人は、同様の作業を行ってみてください。「苦しい」と感じないことに対して、罪悪感や自己否定感を覚えるものと、苦しまなくても自己肯定感を持って取り組めるものをそれぞれ書きだしてみましょう。

そして次に、苦しむことに依存を起こしているものがあれば、意識して「苦しみながら頑張ること」をやめてみてください。そうすることで、不安や焦り、罪悪感など様々なマイナスの感情が出てくると思います。しかし、そのような感情を持ったままでいることが重要です。これは「苦しみながら頑張ること」よりつらいかもしれませんが、結果が出ない悪循環を断ち切るためにはとても大切なことです。

サッカー選手の彼は、苦しむための練習をやめました。苦しむことがゴールになっている練習をしたい気持ちを我慢して、チームが勝つために今の自分がすぐにできることを考えて行動を始めると、1カ月後にはレギュラーに選ばれるようになりました。

このように、「依存」に気づき、それを断ち切ることで、結果を出すための本質に戻ることができるのです。



(森川陽太郎)

結果を残すには「苦労の美学」と「頑張り依存」をまず捨てよう : ライフハッカー[日本版] (via darylfranz)

(bochinohitoから)


日本に現存する最古の神社建築はどこでしょうか。伊勢神宮でも、出雲大社でもありません。

京都・宇治市にある宇治上神社(うじがみじんじゃ)です。5世紀頃の応神天皇、その皇子の菟道稚郎子、そして兄の仁徳天皇が奉られています。

科学技術のアネクドート | あまりに知られざる日本最古の神社建築

やられた。これは知らなかった。

(via yaruo) (via kesizumi, gkojax) (via gkojax-text)


日本が鎖国をしていた時代、日本にもヨーロッパにも折り紙があり、両者はかなりの程度独立していた。明治維新と、それに続く日欧間の交流は、東西の折り紙の融合をもたらした。 日本が教育制度を西洋にならって作り替えたさい、フレーベルの幼児教育法も日本に取り入れられ、それに含まれていたヨーロッパの古典折り紙も移入された。同時に、欧米の幼稚園も、日本の古典折り紙を取り入れた。このようにして、日本とヨーロッパの古典折り紙が混交したところに成立した折り紙のレパートリーが、今日まで伝えられ、伝承折り紙の核になっている。

Ks 折り紙 : 折り紙の歴史 (via tnoma) (via petapeta) (via proto-jp) (via voqn) (via head) (via coloredbyt, tnoma) (via gkojax-text) (via gkojax) (via katoyuu) (via peckori) (via shinjihi)

なぜこちらのお店を選んだのか、ヒアリングさせてもらったところ、 まさに今回行った改善設計のおかげで買うことを決められたそうです。 お客様 『おたくさんとこで買っても、 △△△って書いてたから安心した』 では、どんな改善を行ったのか。。 めっちゃシンプルです。 『ご注文後は発送完了メール以外、
メール等は一切送りませんのでご安心ください』
この一文を大きく入れただけです。

ユーザーテスト×シニアマーケティングセミナー レポート2 | WebマーケティングコンサルティングWeb DestinationのWeb集客 虎の巻 (via kogumarecord)

(tokunoribenから)


 大手居酒屋チェーンワタミ株式会社代表取締役の渡邉美樹氏のTwitterでの発言
    が波紋を広げている。 以下、原文より。
 
    ---------------------------------
    「労災認定の件、大変残念です。四年前のこと 昨日のことのように覚えています。
     彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理 できて
    いなかったとの認識は、ありません。ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に
    思っています。 会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです。」
    ---------------------------------

    これは、4年前に「和民」で働いていた女性社員の森美菜さん(当時26歳)が入社
    からわずか2か月後、月に100時間を超える過労を原因に自殺、神奈川労働局が
    女性の死亡を労災認定したことを受けての発言。

    森さんは平成20年4月、ワタミフードサービスに入社。神奈川県横須賀市内の店舗
    に配属されていた。長時間の深夜勤務、残業が続き、朝5時までの勤務が1週間
    以上続くこともあったという。その上、休日や休憩時間ですら体を休めることが出来
    ず、心理的にも相当な負担になっていた状況が続いていた。

    翌年、遺族は労災認定を申請するも、横須賀労働基準監督署は却下。 神奈川
    労働局に審査を求めていた。そして今月14日、ようやく労災認定された。 
                         (以上、2012年2月22日「日刊テラフォー」より)


    女性社員の勤務内容をまとめると以下のようになる。  
    ----------------------------------
    (1) 一週間の座学後、強制的に長時間労働
    (2) 最大7日間連続の勤務
    (3) 研修もまったくないまま、なれない大量の調理業務
    (4) 休日や勤務終了後もレポート書きに追われ、十分な休息時間がとれなかった
    (5) 体調不良を訴えていたにもかかわらず会社はなんら適切な措置をとらなかった
    (6) さらに朝3時に閉店後も電車が動いていないため帰宅できずお店にいて始発
       電車で帰ることとなり、過度な疲労と精神的負担が蓄積されました。
    ----------------------------------  

    ここで気になるのは渡邉美樹氏のこの発言。 「彼女の精神的、肉体的負担を仲間
    皆で減らそうとしていました。労務管理 できていなかったとの認識は、ありません。」


    本当だろうか? 以前、テレビ東京系列の番組「カンブリア宮殿」に渡邊氏が出演
    した際、司会の村上龍氏を困惑させる、こんな発言をしていたのだ。


   -----------------------------------

    渡邊氏  「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。 途中で止めてしまう
          から無理になるんですよ」

    村上氏  「?」

    渡邊氏  「途中で止めるから無理になるんです。 途中で止めなければ無理じゃ
          無くなります」

    村上氏  「いやいや、順序としては 『無理だから途中で止めてしまう』 んですよね?」

    渡邉氏  「いえ、途中で止めてしまうから無理になるんです」

    村上氏  「?」

    渡邉氏  「止めさせないんです。 鼻血を出そうが
          ブッ倒れようが、とにかく一週間全力でやらせる」

    村上氏  「一週間?」

    渡邉氏  「そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう」

    村上氏  「・・・」

    渡邉氏 「無理じゃなかったって事です。 実際に一週間もやったのだから。 
         『無理』という言葉は嘘だった」

    村上氏 「いや、一週間やったんじゃなくやらせたって事でしょ。 鼻血が出ても
         倒れても」

    渡邉氏  「しかし現実としてやったのですから無理じゃなかった。 その後は
          もう 『無理』 なんて言葉は言わせません」

    村上氏  「それこそ僕には無理だなあ」

    ----------------------------------

    女性社員の勤務内容と、「カンブリア宮殿」での渡邊氏の発言。 

    点と点が線になり、線と線が面をつくり、くっきりと嘘を暴きだした。

    「彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。 労務管理
    できていなかったとの認識は、ありません。」

    。。。。。。よくもこんなことがいえたもんだな。
 
    彼女を死へと追いやったのは誰だ? 「無理」といわせなかったのはどこのどいつだ。

    止めることを許さず、鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく一週間全力で働かせ
    たのは、どこの偽善者だ。 社員の 「死」 をも深刻に受け止められないのかよ。

自殺したワタミの女性社員と渡邉美樹氏のTwitter発言、その点と線 (via hizayamasan)

(mitaimonから)


小松氏は,震災直後の5月11日にインタビューで,関東大震災での情報の混乱がきっかけとなってラジオ放送が始まり,今日の放送が発展したことにも触れている。そして下記のように語り,「総合防災学」の確立を期待した。

 “SF作家のいうこっちゃ思て聞いてくれ。ここで「総合防災学」ともいうべき,超学際的研究体制が欲しいんや。(中略)日本国内にとどまらず,近代世界を襲った「巨大自然災害例」の記録は世界各地にようけあるはずや。今ならそういう記録をインターネットなどで取り込んで,人類共有の「知的資源」にプールすることはさして難しないて思うぜ。”

 2011年7月26日に小松氏は逝去した。彼の遺した「総合防災学」が,決してSFではなく,次の百年で現在の「放送」と同じように我々のインフラとして発展することを期待したい。

 “日本は,これでヒロシマ,ナガサキにはじまって,第五福竜丸もあるし,放射能被害いうもんをフルセットで被った唯一の国になってしもたがな。それだけの役割を担わなウソや。”

 小松氏が指摘するとおり,日本はそれだけの経験を重ねてしまっており,その経験から得たものを後世に伝える義務がある。

E1591 - 大震災と小松左京が遺したもの | カレントアウェアネス・ポータル (via clione)

(shinjihiから)


作品を書き上げたとき、まず読んでくれた親友フィル・クラスの「これはまちがいなく古典になる」という言葉に自信を得て、これを〈ギャラクシイ〉誌にもっていった。ところが編集長のゴールドから手直しを迫られた。「結末がうちの読者には暗すぎる。チャーリィは超天才のままアリス・キニアンと結婚する。そして幸せに暮らす」こういう結末にすれば掲載しようという彼の言葉にキイスさんは愕然とし、黙ってその場を立ち去った。

山本弘のSF秘密基地BLOG:「アルジャーノンに花束を」は駄作になるところだった! (via katoyuu)

(katoyuuから)


「インディアナポリス」問題:部落解放同盟の見解

 最後に、『差別用語の基礎知識’99』に収録された、「差別語問題についてのわれわれの見解」という文章を紹介しておこう。これは部落解放同盟中央本部が1975年9月に発表したものである。
 実はこの当時、日本共産党と部落解放同盟は「差別語」の扱いをめぐって対立していたらしい。
 この年の6月9日の『赤旗』は、マスコミ各社が「禁句集」「言い換え集」を作って差別語の使用を禁じているのは、部落解放同盟の糾弾のせいであると主張。それに対し、部落解放同盟は「わが同盟は被差別部落にかかわる差別語以外、糾弾したことはない」と反論している。

> われわれもまた、テレビ各局のおこなっている、このような、コッケイな「内部規制」には反対である。テレビ各局のおこなっている「内部規制」は、差別を生み出す社会そのものを問わず、ことばだけに問題をすりかえることである。そしてそれは、逆に問題の解決をおくらせるものである。なぜなら、この態度は、臭いものにフタという考えにほかならないからである。しかも、たとえば、タレントに十分納得させて、いいかえさせるのではなく、とにかく、いいかえろという強圧的であるところに重大な問題がある。

 また、「人権をふみにじり、差別し、差別を拡大させる文章や、文学作品も、世論でほうむらねばならない」と書いた後に、島崎藤村の『破戒』を例に挙げ、こう述べている。

> 差別助長の文学は、本来、人間の自由を求める、文学の行為そのものにも反しているからである。ただし、作品の一部分で、たとえ差別語を用いても、その作品全体が、真の自由を求めるものならば、われわれはそれを糾弾しないし、糾弾したこともない。
> 周知のとおり、『破戒』初版本は、「穢多」という差別語を用いている。しかしわれわれは、解説で、読者の十分な理解を求めることを条件に、出版に賛成している。各出版社の発行している文庫本や日本文学全集や、島崎藤村全集を参照すれば、ただちに了解のいくところである。
> したがって、歴史書や研究書においても、われわれは同様の態度をとってきた。ところが一部に、引用する古文書のなかの、「穢多」「非人」という文字すら、伏字にする動きのあることは、歴史学の専門家のなかにあっても、部落差別のなんたるかを知っていない人がいかに多いかを示していて、寒心にたえないところである。

 つまり差別語が使われていても、本全体として差別に反対する内容であれば出版に賛成するよ、というのが部落解放同盟のスタンスなのである。

> われわれは、「穢多」「非人」がいかに非人間的名称であり、差別語であろうと、それが用いられていた歴史的事実を消しさることはできないと考える。また消しさる意志もない。被差別部落への差別が、完全になくなるような時代がきても、このコトバを消しさってはならない。歴史的事実として、歴史書や辞書などに、厳然とのこすべきである(いわんや、今日の歴史書や辞書などから抹殺するなど論外である)。このことは、差別を根絶していくために、あるいは差別がよみがえらないためにも必要である。なぜなら、数百年の差別の事実、あるいは、差別根絶のための、苦難にみちた闘争が、このコトバには、こめられているからだ。

 被差別部落以外の差別問題についても触れている。

> したがって、ことばのいいかえでは問題は解決しない。「きちがい」を「精神障害者」、「びっこ」を「身体障害者」とか「肢体不自由者」とかよびかえても、「余計者」「厄介者」待遇が変らねば、いささかも事態は変らないことは、いうまでもない。とくに「めくら」を「盲人」におきかえたのは、全くの同義語を大和ことばから、漢語におきかえたにすぎない。マスコミや、テレビ局の、この種のいいかえは詐術に近く、差別語追求を、こうしたいいかえ、おきかえで満足していてはならない。
>「めくら」「びっこ」というコトバが、差別を生むのではなく、「めくら」「びっこ」が人権をうばわれ、差別される存在として、この社会におかれていることによって、これらのコトバが差別の色あいを持つのだということを、明確にしなければならないだろう。

 これは1975年に書かれた文章だが、今では「盲人」という言葉も自粛して、「目の不自由な人」と書くことが多い。現代小説ならまだしも、時代小説を書いてる人は困るだろうなあ。
 似たような言葉として、「土人」を言い換えた「原住民」を、さらに「先住民」に言い換えるという例がある。僕の場合、「インディアン」の場合とはちがい、「原住民」を「先住民」に変えても何の支障もないので、訂正要求には応じることにしている。でも、いつも疑問には思っている。

「原住民」と「先住民」の違いっていったい何?
 どう見ても意味は同じだよね?
 それなのに一方がNGワードに指定されてるってどういうこと?
 禁止語リストを作った人、そしてそれを守ってる人、ちゃんと自分の頭で考えてますか?

 最後にこの声明は、10項目の「基本的立場」を表明する。長くなるので、そのうちの2項目だけを紹介しよう。

>③ 現在、マスコミ・テレビ局ですすめられている、禁句集、いいかえ集などの内部規制は、差別の本質に迫ることなく、コトバだけをいじることによって問題を矮小化し、支配者の言論・表現の自由抑圧に手をかすものであって、われわれは断じて反対である。

>⑧ 差別語や、差別的比喩に対し、われわれは糾弾・抗議をおこなう。ただし、差別語が用いられたから糾弾するというのではなく、文脈全体のなかでその前後関係をよくみて、差別を助長するか、否か、その与える影響というものを判断しておこなうという、従来の方針を堅持する。

 この「差別語問題についてのわれわれの見解」の中に、マスコミの「差別語狩り」への反論が言い尽くされているのではあるまいか。
  

山本弘のSF秘密基地BLOG:差別問題